壊されていく伝統。だから世界は面白い。

カンカン照りのある日。

チャオプラヤー川沿いを散歩していたら、ヘンナモノに遭遇した。

シマウマさん、である。

仏様のお隣に、ちょこんと座しておられる。

1…2…3…よくよく周囲を見渡すと、このシマウマ様、いたるところにいらっしゃった。こっちの木陰からもコンニチハ。あっちの柱からもコンニチハ。「一仏様に一頭」じゃ足りないくらい。仏様の前後左右を、護衛のように囲っていらっしゃる。

それにしても、なぜ、シマウマ・・・?

折角だから、通りすがりの人に聞いてみた。サワディーカー。

そして知ったのだが、どうやらこのシマウマ様は、交通安全の守り神らしい。タイでは、誰かが交通事故でなくなると、その魂が生きている人を道連れにして交通事故が相次ぐと信じられている。その悪スパイラルを止めるために、シマウマの像を置いているそうな。

さすが、精霊信仰(アニミズム)が根付いている微笑みの国!

途端に、ペンキが剥げてしまって目の焦点もあっていないシマウマ様が、大変貴重なものに思えてきた。というか今ここにシマウマ様がいらっしゃるということは、かつてこの場で誰かがお亡くなりになったということですよね。ポンポンと守護神の頭を撫でていた腕を引っ込める。大変申し訳ございませんでした。

そして面白いのは、このお話の続きだった。

なんと、このシマウマの像をぶっ壊す活動をしている人らがいるという。

しかも犯人は外国人観光客ではなくて、何を隠そうタイ人の若者ということだった。

具体的なグループ名や、何のメディアで取り上げられているかまではわからなかったけど、とにかく「我らは伝統には従わない!こんな像になど意味はない!」といったスタンスだそうで。結構、問題になっているらしい。マジか。

心なしか、目の前のシマウマ様の瞳が潤んだ気がした。

イケてない伝統が壊されるのは世界現象

宗教的タブーという意味では、神社の狛犬にヒビを入れるようなもんだから、世間的には罰当たりもいいとこだろう。それだけでなく、信仰心の強い(と少なくとも私は思っている)タイ人が、自らの慣習に歯向かうような行為をすること自体も、ひどく信じがたかった。

自国の民族が、自国の伝統宗教に敵対しているという、なんとも皮肉な構図。

理不尽だろうか?まぁそうよね。

でも。

この「伝統宗教をぶっ壊そうキャンペーン」なるものは、もしかして世界中で起こってるんじゃないか?

例えばドイツ。移民大国の社会では、若者の「教会離れ」が問題となっていた。住民登録をするため、ボン市役所の待合スペースにたむろしているとき、たまたま隣の席に座っていたベルリン出身のドイツ人老夫婦に聞いた話だ。日曜のミサなどもってのほか、食前の感謝の祈りを捧げる若者が減っているという。

私はそのボンという、ライン川沿いの美しい田舎町(ベートーベンの生家で有名)に計4ヶ月間暮らしたのだけれど、確かにドイツ人のルームメイトは誰1人、伝統的なキリスト教行事に積極的に参加しているようには見られなかった。もちろん、日曜礼拝にも行かない。食前にアーメンなど唱えない。

そしてワケを尋ねると、理路整然と「毎週日曜の午前をミサというに捧げるのは月に12時間も無駄にしていて非生産的だ」などと語ってしまうのである。彼らは生活において、もはや「神」という心理的な拠り所を必要としてはいなかった。実に合理的なリアリスト。お隣ポーランドの方が、よっぽど敬虔なクリスチャンかもしれない。

というわけで、タイの若者がシマウマ様をぶっ壊すという暴挙にビックリはしたけれど、冷静になって考えると「伝統宗教をぶっ壊そうキャンペーン」は多分、世界の多くで起こっていることなのだ。

年功序列、終身雇用、集団主義ーーー。こうしたものを宗教と捉えるのであれば、日本だって似たようなものだ。定年まで勤め上げたところで何になるの?先生この髪どうしてダメですか?やっぱり自国の若者が、自国の伝統に歯向かっている。

だけど、なんでわざわざ伝統を守らない一定層が生まれるのか?

なぜなら「イケてない」のだ。

伝統が。慣習が。

自分たちの思い描く理想郷が、そうした過去に作られたルールのせいで「ダサく」なってしまうのが嫌なのだ。

「伝統から距離を置く」という選択肢

日本生まれ日本育ちである私は、日本の大学卒業と当時に「海外就職」を選んだ。実はスーツ着て黒髪ポニーテールにしていわゆる日本の就活をしていたし、内々定もいただいていたんだけど、大学卒業直前でシンガポール現地採用の道を選んだ。

なぜ?

イケてなかったから。想像できる未来が。

ちなみに誤解を招かないために説明しておくと、伝統に素直に従えなかった私の場合は「集団主義が糞イヤ!」とかそういう反抗ではなくて。むしろ逃げの選択でしてね。

生きていく先に、安定や出世は描けても、「一生懸命に生きる(live my life fully)」という本質的な意味で、自分自身が「イケてる人間」になれる自信が皆目なかった。

なぜなら「右向け右!」の世界で真っ当に戦って「イケてる奴」になれるほど、頭一つ突き出てはいなかったし、かといってシマウマをぶっ壊せるような勇気もない。自分の平凡さを自覚していたからこそ、その場にいたらズルズルとイケてない伝統に埋もれてしまう未来を予想できて、怖気付いたんだよね。どこでも誰にでもあるpros and consを、併せ呑む度胸がなかったのかもしれん。

だから、伝統を壊すのではなくて、伝統から距離を置くことを選んだ。

そして、たまたまシンガポール海外就職という形で実現した。

キラキラ新卒海外就職を期待してくれている皆さんに申し訳ないほど、私はちっぽけな逃げ腰人間なんです、ハイ。。。

まぁ平凡な人間が居場所を変えたからといって非平凡に化けられることはなかったけど。でも一生懸命に生きたし、今もそうであると自信を持って言える。予め用意された伝統から外れることで、真っ白なキャンバスに向き合って自分なりのライフスタイルに気付けたことが、新卒海外就職の何よりの収穫だった。

壊されていく伝統、だから世界は面白い

年功序列、終身雇用、集団主義、新聞、年賀状、通勤、専業主婦ーーー。時流にそぐわぬ”イケてない”習慣は、自由とテクノロジーを愛するものたちによって排除させられていく。そうして生まれた新たな価値観すらも、時が経てばまた覆されていく。

平凡な一個人でも旗を振って大軍を率いることができるようになったのは、SNSの成せる大業だと思う。

先述した通り、私は「距離を置く」ことを選んだけれども、自国の伝統や習慣を放棄するには色々なパターンがある。「世界は広い!」と夢見がちだけど恐れず新しい環境に突っ込んでいく人。愛する人の慣習に従うため結婚という形で自らの伝統を放棄する人。いずれにせよ、生まれ落ちた環境ではないどこかに居場所を見つける一定数の人がいるのは、世界中どこでも同じなんだ。

ダメな伝統、つまり社会の流れに合っていない慣習は、徐々に排除される。

自国の文化が崩れ、自分と同じ価値観を持つ人が世界の色んな場所で現れて、物理的距離などいとも簡単に飛び越えてアタラシイモノが創られていくその先。

ナニジンとか、ナニキョウとか、そうした宗教的・伝統的枠組みは何によって置き換えられるんだろう。戦う者と、逃げる者?使う者と、使われる者?世界の「分断」は、どんな風になされていくのかワクワクする。今、自分は26歳。死ぬまでにそうした変革がドンドン起こっていくんだろうな。私はどんな人生を選択していくんだろう。

そんなことを考える時、自分はとっても面白い時代を生きているなと、静かに喜びを噛みしめる。

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