アジア・アメリカ・ヨーロッパに住んで身についた「世界のどこでも生きていける」自信の根拠

シンガポールから日本に本帰国してから久し振りに会う小学校の幼馴染が、「シンガポールが恋しいだろうから」と四川飯店の山椒麻婆豆腐を食べに連れ出してくれた。トウガラシ的な「辛さ」が先行してしまっている横浜中華街の麻婆豆腐とは違って、山椒の「辣さ」がガツンと効いた料理には思わず頬がほころぶ。

ちなみにシンガポールでは、チャイナタウンPeople’s Park下のホーカーセンターにある「味坊香辣蟹」というお店の麻婆豆腐が絶品でしたよ♪

とまぁ、そんなことは置いておいて。

日本生まれ日本育ちの純ジャパ新卒でも、海外就職「セカシュー」に挑戦した私だけれど、学生時代の友だちからは未だに「よく怖くなかったね」と言われる。言語スキルも人脈もゼロに等しい新しい国に、ブーンと飛んでいったことを。

シンガポール住んだことなかったんでしょ?知り合いもいないし。抵抗なかったの?

幼馴染がデザートの杏仁豆腐をすすりながら訪ねてきた。何も知らなかったけど飛んじゃったよと返すと「ダメだ私それ無理」と笑って「一生日本から出たくない」と続けた。私からしたら、新卒からずっと大手銀行の個人営業として関東圏を回り続けている彼女のライフスタイルの方が「無理それ」なんだけどね。昔からお互いの好みが違うのは知ってたけど、こうも二極端になるとはね、と言い合ってまた笑った。

言われてみれば、そうだよね。

スタバでコーヒーすら頼めなかった人生初めてのアメリカ留学をはじめ、大学在学中には東ティモール、それからドイツに滞在していた。どれも、半年ずつの短期滞在だったけどね。だから当時もし就職に成功すれば、シンガポールは私にとって4つ目の海外滞在国となる予定だった。

しかもシンガポール就職にチャレンジしたのは卒業1ヶ月前の2月だったから、成功すれば無期限就労、失敗すれば無職決定。振れ幅の大きいリスクだった。

でもどういうわけか、シンガポールで現地就職するのは全然怖くなかったんだよね。

新しい国では「頼る」ことが当たり前になる

当時を振り返るに、新卒でも海外就職にチャレンジできた理由の一つに「世界のどこでも生きていける」自信があったと思う。

単に旅行するのと実際に住むのとでは、雲泥の差がある。住むとなると、滞在ビザ取得以外にも、住む場所の確保や銀行口座の開設まで、全部自分でなんとかしなきゃならない。慣れない気候で体調管理だって難しくなるし、お財布との相談も相場がわからないうちは簡単でなはい。そのほかにも「ゴミってどう出すの?」とか「電球切れたんだけどどうすればいいの?」みたいに端々まで、自分の生活の責任は自分でとる必要があるんだ。

そして新しい国では、右も左もわからない外国人なので、「周りに頼る」ことが当たり前になる。

私にとっては、だから海外生活はやめられない!と言っても過言ではないほど好きな立ち位置だ。日本だと実際に長女であることもあってか、家でも外でも頼られる側にある。頼ってくれることは嬉しいので調子に乗ってもっと頑張ると、全部こちらが面倒見てリードしてっていうのが続く。正直たまに疲れる。でもそこで手を抜けないというか甘えられないのが「長女気質」で、最終的に鬱憤が溜まっていってしまうんだけど。

初めて暮らす国では「わからない」ことがデフォルト。

「頼られる」ことには慣れていて「頼る」ことが苦手な私にとっては、気軽にSOSを出せる環境がすごく心地良いんだ。

東ティモールにいた時は、滞在初月にキッチンの蛇口が壊れるというハプニングがあった。

月の家賃2万円のお湯なしフラットに住んでいたんだけど、夕方お皿を洗っているときに、蛇口がカタカタ揺れだして、突如ズルッと抜けた。ブッシャァァァァ!!と水放出。

これ写真だとわかりにくいけど、本当にすごかったんだよ!!汗

たちまち部屋は大洪水。自分も水浸し。蛇口を押し戻しても、スポンジを詰めたんだけどダメで、冷や汗が止まらない。

これはマズイ。

混乱状態で後を絶たれ、ティモール人の隣人たちに助けを求めることにした。家を出ると、夜20時には消灯して真っ暗になってしまった現地の民家が並んでいる。人っ子一人いない。東ティモールの現地語テトゥン語で「助けて」は「Ajuda hau!(=Help me!)」と言う。読み方は「アジュダ ハウ」とアルファベット通り。皆んなもう寝てるんだろうな。睡眠の邪魔をしてしまうな。申し訳ないという気持ちと、いやいやそんなこと言ってられないでしょという焦り。ええい、もう仕方ない!

ハウ〜!!(私ぃぃ〜!!)

と吠えた。あまりに焦っていたので肝心の「助ける(Ajuda)」という動詞を抜かして、気味の悪いナルシストみたいになってしまった。聞き慣れない声と不気味なセリフに気づいた、お隣に住んでいたロヒンギャ難民の家族が、トンカチとコルクの栓を持ってきてくれて事なきを得た。

私は、やっぱり人に頼っていかなきゃ生きていけない。

ドイツでも入口(Eingang)と出口(Ausgang)がわからず、トラム乗り場で何度駅員さんにお世話になったか。ドイツにやって来る人で、こんな基本的な単語をわかっておらん奴はいないんだろう。いつまで滞在するの?と言う質問に「4ヶ月後」と答えた私に、テストで0点取っちゃったけどやる気だけはある生徒をあしらうように「この辺で一番美味しいコーヒー屋さん」を教えてくれた。目元に深く刻まれたシワが優しい印象のおじいちゃんだった。

世界のどこでも「0→1」を生み出せる

というわけで、私は海外ならどこへ行っても周りの人に頼ってきた。人が困っている状況に輪をかけて騙そうとするような極悪人には、幸い今まで出会ったことはない。

アメリカ、東ティモール、ドイツ、そしてシンガポールというアジア・アメリカ・ヨーロッパの計4ヶ国に住んで得たものは、「世界のどこでも私一人で暮らしていける」という能力ではなくて、「世界のどこでもきっと皆んなが助けてくれるから大丈夫」という確信だ。

とても温かく包み込んでくれる、大きな力。

彼らの支えがあるから、「0」の環境を開拓して「1」を生み出すことができる。

困ったらSOSを出せば、助けてくれる人は絶対にいるから。

だからどこの国に行ったって、「なんとかなる」んだ。きっと。

私はこうした、今まで住んだ国で起きたキラキラを思い返す時間が好きだ。

素敵な出会いに感謝しつつ、今日もゆっくりと頑張ります(=・ω・=)

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