
今年に入ってから、とあるTwitterユーザーのツイートが話題になっているらしい。
一児の母であるという彼女は、夫とのLINEのやり取りを投稿して注目を集めた。
ねぇみんな!!!
— ぽん@2人目ゆる妊活 (@wanwandayo11) 2019年1月19日
旦那からのLINE見て!!!!
嬉しすぎて泣けてきた😭😭😭 pic.twitter.com/bmgqdqe56K
これについては「なんて素敵な旦那さん!」という称賛から「夫が上から目線すぎない?」という批判まで、賛否両論あるようだ。
また、このツイートを受けて以下のような記事も公開されていた。

妻に子育てを休ませてあげる夫は、本当に「素敵な旦那様」ですか?というタイトルで、一石を投じている。
目次をたどると、こんな感じ。
- 夫は決して「神」ではなく単なる「対等な人間」だ
- 女性を主語にすると分かる支配の怖さ
- 人々は男性の支配性に無自覚になり過ぎている
- 女性誌が奴隷マインドだらけになるのも頷ける
- 危険なSMプレイを称賛するようなもの
- 女性が「ワンオペ寂しい」って言ったら可愛いですか?
- 分け前をちょっとだけ与える優しいジャイアニズム
- アンコンシャスバイアスだらけの「子育て言葉」
性差別とジェンダーロール(性別役割分業)について細かく分析されており、素直に良い記事だと思った。
「支配・被支配の関係」は一概に否定できないし。
「ワンオペ」が「孤育て」と揶揄されていることも知ったし。
けど、そんなことは、どうでも良くて。
いや、違うな。
どうでも良いと言ったら語弊になるかもしれない。
けど、この一連の盛り上がりを目にして私が思ったことは「なんて素敵な旦那さんなんだ!」ではなくて、「なんて頑張っている方(投稿者さん)なんだ!」ということだ。
ジェンダー論争の前に注目すべきこと
「ジェンダー」や「ステレオタイプ」についての議論がされない日はない、と言っても過言ではない最近の日本。
この「夫が妻に休暇を与える神対応」というツイートの他にも、昨年は「#名画に学ぶ主婦業」が話題になっていた。
有名画家たちの作品を、主婦たちが直面している「あるある」情景と重ね合わせた企画だったのだけれど、なぜこれほどにも世間に広まったのだろうか?
「夫の神対応」ツイートは、なぜ53万もの「イイね!」を集めたのだろうか?
それはきっと、「妻」や「母親」という役割のために「私は○○がしたい」という自我を封印している人があまりにも多いからだと思う。
本当は気になってるドラマも観たい。勉強だってしたい。ゆっくり本も読みたい。
でも優雅にそんな時間なんて取れないし、掃除・洗濯・料理というルーチンからは抜け出せない。
さらに家事は言ってしまえば「半分、手持ち無沙汰」だ。洗濯物を干している時も、料理としている時も、忙しく動かしているのは「手」であって、「口」でも「頭」でもない。
だから、このとてつもない単純作業にどうにか価値を見い出すために、自分のやりたいことを取り込む「ながら工夫」や「合間工夫」をするようになる。夫のシャツにアイロンかけながら、音楽を聴く。夕飯の準備をしながら、Youtubeでドラマを観る。子どもが寝ている間に買い物をする。全ては少しでも時間に余裕を生み出せるように。でもね、「ながら」や「合間」で自分の好きなことをできたとしても、それは一瞬の気晴らし程度にしかならないのよね。
だから「夫の神対応」をツイートした投稿者さんは、たった3日の自由で「泣けてきた」ほど、日々いろんなことを我慢している強い人だなぁと思った。
賛同の声をあげた人たちにも、きっと日常生活で何かしら自分の「やりたいこと」があって、それをグッとこらえているのでしょう。
そして自分の持てる時間と労力を、自分以外の誰かのために捧げている。
そんなの、リスペクトしかない。
「妻が」とか「夫が」という二項対立の前に、そうした背景にもっと焦点が当たって欲しいなぁ。
ちなみにシンガポール人妻が「夫から3日間のお休みと6万円もらいました」状態になっても、きっとパーッとバリ島にでも行ってマッサージ受けて終わりだよ。自分たちの欲求に素直だし、それが許される社会だもん。まず自分の欲求を満たせないと「善き母親」でいる余裕なんてありません!ってスタンス。これはこれで、理に叶っていると思う。
でも今の日本に、そうした「妥協」が許されるコミュニティはあるのだろうか?
叩きやすいスケープゴートを縛り上げて、肝心な責任の所在は、いとも簡単にたらい回しにされている。
私はジェンダー論争よりも、そうしたことが気になって仕方がない。
