長女気質・完璧主義でも「気を張らない楽な生き方」をしたい

この間、久しぶりに大学の先輩・後輩が20人くらい集まって忘年会を開いた。シンガポールから日本に帰国して初めての大きな会。嬉しいことに、顔も知らないハジメマシテの先輩や後輩が既に私のことを知っていて、声をかけてくれた。話を聞くと、私の海外インターン経験やシンガポール就職の話が噂となっていたらしい。「琴音」という私の名前は、「マダム」という、私の素性を知っている人からしたら笑い転げるであろうニックネームとなって広まっていた。

大学を卒業してから、もうそろそろ3年の歳月が経とうとしている。卒業後は速攻シンガポールに行ってしまい、日本の同窓会やら忘年会・新年会などあらゆる行事に参加できていなかったんだけど、やっぱり久しぶりに会う気の知れたメンツは安心する。あー、日本戻ってきたなぁって。温泉に浸かってほぐされる身体みたいに心がじんわりと温まるんだ。

昨日は新年会として、大学の後輩男子2人と韓国料理の「チーズタッカルビをつつく会」があった。キラキラした子犬みたいな目で慕ってくれる後輩たちは、本当に可愛い存在でもあるんだけど、今回はちょっと違った。

ただでさえプライドが高くて「何でも自分でできます」感を押し出してしまう、長女気質の私。実の弟と同じ年齢の後輩たちが相手ということもあって、今まで「先輩モード」&「姉モード」から脱却できずにいたんだけど、昨日はその背伸びした態度を意図的にやめてみた。

先輩、今日何してたんですか?

おしぼりと取り皿を全員に配ってくれるデキる後輩が尋ねる。

もういいよね、先輩ヅラするのやめてホントのこと言おーうっと。

ずっとパジャマでメルカリしてたわ(マジ)。

え???www どうしたんっすかwww キャラ変わってません?

めちゃくちゃ驚かれてしまった。

生まれてから1度も使われているのを見たことのない実家の食器を勝手に出品したら、母親に劇ギレされたというエピソードには「先輩大丈夫っすかww」とゲラゲラ笑われる始末。そのくらい「先輩」としての私のイメージはド真面目だったんだろう…。だけど、私にはもう弁解する気力さえ残っていなかった。だって「疲れちゃったんだもん」。

失敗や不幸を他人のせいにする生き方

私は何か上手くいかないことがあれば、まず自分を責めてきた。

あの時、もっと良い方法はなかったのだろうか。自分の判断は本当に間違っていなかったのだろうか。

シンガポールで新卒海外就職した時もそうだ。

自分で決めた現地採用という道だったにもかかわらず、日本の大手企業に就職してどんどん飛躍していく同期と自分を比較して、根拠のない不安に駆られていた時もあった。シンガポールで就職しようと啖呵を切った時、何で自分はもう少し考えることをしなかったのだろうか。海外で就職するのは本当に正しい道だったのだろうか。そんなことばかり。キリがないことはわかっているけど、過去の変えることのできない「もしも」ループの連続で頭がいっぱいになっていた。

新卒で採用してもらった米系リサーチ会社への出勤中も例外ではない。

日系企業のようなポテンシャル採用という概念がない中、出勤1日目から息つく間もないOJTに揉まれたことは未だ記憶に新しい。初めてのことだから毎日怒られっぱなしで、学んだことを記録しておく用のノートはすぐにいっぱいになった。そこでも、やっぱり批判の対象は自分自身だった。私の英語がもう少し流暢だったなら。私がもうちょっと要領の良い人だったなら。もう少しクライアントの気持ちに寄り添うことができたなら。

もし〜だったなら。

自責を繰り返して溜まるストレス。

ただね。

こうしたストレスに根から強い人たちがいるんだよ(・_・;)

ズバリ、何か問題が起きたときに他人のせいにできる人たち

海外就職をしたのは安定した就労基盤を提供できていない日本政府のせい。

英語をうまく話せないのは日本の外国語教育が悪い。

採用された会社でうまくいかないのは雇用主がバカだったから。

業績が悪いのは上司の育て方がいけない。

そもそもこんな私に育てた毒親が全ての根源。などなど。

自分の人生の不幸を他人のせいできる人は、こういうことをいとも簡単に語る。昔はそうした人に出会ったら「なんてワガママな人だろう」と嫌煙してきたんだけど、最近はそれが一概に悪いと思えなくなってきた。だってそれは、自分がストレスフリーに生きるためのとても素直な生き方だから。

失敗や不幸を他人のせいにして「攻撃」するのは話が別だけど、考え方として「私ちゃうで」って内観しているのは、究極他者に迷惑をかけていない限り「ワガママ」ではないわけで。

私は長女気質(実際に長女)の「いい子」像にすがりついてきた人であり、自分で言うのもなんだけど学校でも聞き分けの良い優等生タイプ(成績が良いかは別として)だったと思う。「良く思われたい」&「お役に立ちたい」という自己肯定感を原動力に生きており、他人からの評価をいつも気にしている。だから力を抜ける場所がなく、結果的にとても疲れてしまう。今でも。

でも、悪いことを他人のせいにできないのは決して責任感が強いのではなく、責任放棄しているという投げやりな自分を、自分で認めたくないだけなんだ。

全部他人のせいにできる方が、見方によっては正直な生き方だ。

「いい子」はとても高いプライドと気の強さで、肉体と精神の均衡を保っているようなもん。だけどそれは、いつまでも他人の描く理想像を追いかけ続けなくてはいけない不幸のループ。

いつか限界が来る。

その前に、私は自分を変えたい!

後輩たちが思っているような「マダム」みたいに強い心は持ってないし。だからまずは、「完璧な先輩像」や「完璧な姉像」を少しずつ溶かしていこうと思う。

完璧ではない自分をさらけ出すのは至難の過程だけれど、ここでまた変な意地を張って大丈夫、大丈夫、私がしっかりしなきゃと立ち続けたら、きっといつか中身の伴わない楼閣になってしまうんだろうなという恐怖さえ感じる。そんな姿になってまで成し遂げたいことって一体なんだろう。何も浮かばないや。汗

というわけでこのブログもゆるーく続けていきます。気持ちの整理がつくまで、飾らない自分で胸張って歩けるようになるまで、亀さんのペースかも知らないけれどお付き合いいただけたらと思います(=・ω・=)

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