
海外在住者あるあるの一つ「日本にいる友だちと気軽に会えない」という悩み。物理的距離があるから仕方のない事なんだけど、幼馴染との集まりとか大学の同窓会に、なかなか顔を出せないんだよね。結婚式ラッシュとかきたら、日本への航空券代✖︎ご祝儀貧乏になるんだろうなー。
そんなこんなで「大学の頃はすごく仲の良かったけど、卒業以来あまり連絡を取らなくなってしまった」という友だちは多い。
それからこれは主に女子友だちなんだけど、「結婚してからご飯に誘っても来なくなってしまった」という現象も。
- 未婚者彼氏なし
- 未婚者彼氏あり
- 未婚者婚約中
- 既婚者子どもなし仕事あり
- 既婚者子どもなし専業主婦
- 既婚者子どもあり仕事あり
- 既婚者子どもあり専業主婦
こんな感じで細分化されるそれぞれの人生。
人生の通過儀礼レベルによって、価値観も考えも全く違う。
小中高大まで、みんな一緒のステージでワイワイしてたのにね(・・;)
私と同じ25歳にして結婚・出産・離婚の1ループをすでに終えた友人がいるんだけど、「人生に必要なものは所詮金だったよ」と毒吐いて元夫を呪いながらも、親権を取った一人娘の成長に頬を緩ませているあたり、やっぱり「母親」なんだなぁと思う。彼女は今、週の半分は実家の両親に赤子の面倒を見てもらいながら、パートに出て生活費を稼いでいる。元夫からもらった慰謝料だけでは、生きていくのが大変らしい。それでも美意識は高くて、娘を名門私立小学校に入れたい!とお受験塾のパンフレットもらってきているあたり、もうちょっと力を抜いてもいいのにーと思うんだけど。何世代も前から東京のど真ん中に実家があって、親戚も全員23区内に住んでいるので、生活のデフォルトが「東京標準」になっているのかもしれない。
めっちゃ話がズレてしまったけど、とにかく。
再婚を望むシングルマザーである彼女の日々の関心事と、どの国で働こうかなーとか地に足つかぬことで頭がいっぱいの私の関心事は、180度違うのだなぁと、彼女と会うたびにハッとさせられる。
海外に住んでいると、しばらく会わないうちに、こうした時の流れに鈍感になってしまう気がする。
海外在住という理由で試される友人関係
シンガポールにいる間も、半年に一回くらいは日本に一時帰国をしていたんだけど、やっぱり会いたい人には比較的容易に会うことができていた。
シンガポールから日本まで飛行機に乗って5,000キロ以上移動するのと、日本国内で電車で数十キロ移動するのは、必要な経費も時間も天と地の差だ。だから日本にいると小学校からの幼馴染とは週に1回は会えたり、大学の友人とも「今週空いてる?」という一言で、気楽にキャッチアップすることができた。
ところがドッコイ。海外に住んでいると、こうはいかない。
滞在している国は「母国」ではないから、永住権を持っていない限りは「いつか去っていく期間限定の住処」ということになる。
要は自分自身含め、海外で出会う外国人というのは全員「移動民」なワケで、したがって半年も暮らしていれば色々な出会いや別れがあるものだ。
厄介なのは、この人の移動は、人間関係を劇的に変化させる要因の一つであること。
一度その国を離れれば、本当にお互いの価値を認めて友人関係を築けていたのか、それともただ物理的に距離が近いから一緒にいたのか、イヤでも明らかになる。
折角お互いに仲良くなっても、神様が本当の絆であるかどうか精査しているみたいに、友だちを手放す勇気と手放される勇気が試されるんだ。
特に何年も移動民をしていると、学生の頃の「また会おうね」の「また」が「来週」ではなく「再来年」レベルになってしまって。
久しぶりの一時帰国では、友人と話が噛み合ってないなと思う瞬間も増えてきた。「あれ、今シンガポールに住んでるんだっけ?」という入りから深く語り合える友人がいる一方、「わー海外在住なんてすごいね!私とか英語話せないからなーハハハ」で会話のネタが尽きてしまう友人もいる。
ヤバい、話がわからない。
孤独になりたくないという防衛本能が働き、友だちを失う恐怖をふと感じたりね。
海外在住経験に関わらず自然体で接することの大切さ
この意味わからない恐怖から解放されたのは、ちょうど2年前の今頃だった。
4年前に滞在していた東ティモール関係メンバーの同窓会(忘年会)が行われたのだ。
大使館・JICA・青年海外協力隊・国連、色々な関わり方をしていた人たちが東京都内で集まった。4年という歳月を経て、ある者は親になっていたし、ある者は別のポスト・コンフリクト・カントリーに派遣されていたし、また私はシンガポール在住1年目だった。
老若男女てんでバラバラのメンバーだったんだけど、まぁ皆さん開いた口が塞がらない。笑
自慢話でも否定でもなく、ただただ言いたいこと言い合ってるだけなんだけど、何だろう、とても温かい空間だったんだよね。
みんな、自由じゃん。
そこで、ふと思った。
私も、もっと素で、いいんじゃないか。
今まで私は「海外かぶれと思われたら嫌われる」とか「私の経験を語るんじゃなくて相手の経験を聞かないと自分勝手な人と思われる」とか、いわゆる世間体ばかりを気にしていたんじゃないかと。
だから毎回人に会うたびに、楽しいんだけど、同時にすごく疲れていた。
私は小学校〜高校まで、100人に第一印象を聞いたら100人が「大人しい」と言うくらい寡黙な子だったんだけど、親からは「ワガママ」と怒られるくらい自我はあった。それは本当に大人しかったのではなくて、周りと合わせるという無駄な背伸びをしていたのかもしれない。
基本的に「相手によく思われたい」「役に立ちたい」と思っている欲張りな私なので、「本当は色々語りたいけど悪く思われたくないから黙ってよう」と見栄を張って、結局2兎追って1兎も得ずの状態。
でも本当の自分を隠しているこの状態で、信頼できる友人関係が築ける訳がないんだよね。
だから、それからは自然体でいるように意識をした。
海外に興味のなさげな友人と話をするときは、「嫌われたくない」と閉口するのではなく、「どうして私がシンガポールのことを語りたいか」を語ることにした。友人らはとても良い人たちで、誰一人嫌な顔せず聞いてくれたな。
海外在住期間が長くなると、いつも一緒にいられる友人が限られて、不安にかられる時がある。そんな時こそ、ありのままの自分でいることを大事にしようと思いました。
