シンガポールの観光名所でもある、市民食堂ホーカーの代表「ラオ・パサ」。
金融オフィス街のど真ん中にあり、かつての英国支配中には魚市場であった面影を残すドーム型をしている。観光名所でもあるため、ちょっと小綺麗でお高かったりもする。

ある平日の夜、定時で仕事を切り上げた友だちと、久しぶりにこの「ラオ・パサ」でご飯を食べることになった。
さすが人気観光地、見渡せば本当に色々な人がいる。
ビール片手に語り合っているのは、ホワイトカラー金融マン。その隣のテーブルで一言も交わさずにサテーをむさぼっているシンガポール人老夫婦。さらに横には、カレー味のチキンサモサを仲良くシェアしているインド人カップル。彼らはどこへ行っても飽きることなくインド料理を食べている。
それからふと反対方向を見ると、日本人がいることに気がついた。
父、母、それから小学校入るか入らないくらいの娘の3人だ。互いの間に会話はなく、両親はそれぞれのケータイに夢中。服装や持ち物から判断するに、シンガポール駐在一家のようだった。
なぜ日本人だと気付いたかというと、娘がiPhoneを横に倒して食事の傍ら日本の映画を観ていたから。
ちなみにシンガポールでは親が子どもの手持ち無沙汰に対応するためにオンラインコンテンツに頼る節があるので、食事中の映画は珍しい光景ではない。まだ文字も識別できないほど幼い我が子にiPadやiPhoneを与え、Youtubeで教育ビデオを観させているような光景はよく目にする。公共の場所で我が子が泣き出した時も、シンガポール人の親が真っ先に取り出すのがケータイ。画面に映し出されたキャラクターと陽気な音楽で、子どもをなだめるのだ。
で、少女が観ていた肝心の映画とは、コレ↓
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」。

シンガポール在住の子どもが発した驚きの一言
映画は丁度、八百万の神が暮らす不思議の国を牛耳る魔女「湯婆婆」が営む、湯屋のシーンだった。
映画を観たことがない人は申し訳ない。ぜひご鑑賞を!

「ここへ来てはいけない!すぐ戻れ!」
トンネルの向こうの世界に迷い込んでしまった主人公「千尋」を、竜の少年「ハク」が湯屋の橋の上で追い返そうとする。じきに日が暮れて、八百万の神々様をお迎えするための灯りがともされると、人間である千尋はこの世界から消えてしまうからだ。


「もう明かりが入った。ワタシが時間を稼ぐ。橋の向こうへ走れ!」
強引にも少年ハクに突き放され、元来た道を戻る千尋。その姿を、太陽の光が消え失せた闇が追いかける。昼間は人気のなかった立ち食い屋台に紅い灯籠が並び始めた。

ありゃりゃ〜せっかく家族で外食してるのに、映画を餌に子どもを放置していてるなんて…。そんなことを思ったときだった。
自分の顔よりも大きなiPadに見入っていた少女が、声を大にして叫んだのだ。
「ねーママ、これ台湾みたいだね!」
うぉ?!
思わず少女を見返す。
黒髪ポニーテールに、水色の花柄ワンピース。正直、どこにでもいそうな少女だ。
だけど、なんて、頭の良い子なんだろう!
彼女のお母さんはホッケンミー、お父さんはガイドブックにそれぞれ夢中で、この少女の発言に対して素っ気ない反応しかなかった。だけど私は今すぐ駆けて行って、「今、お嬢さんは素晴らしいことをおっしゃったと思います!!」と熱弁したかった。
だって古い屋台街に赤提灯が並ぶノスタルジックなフィクションの情景から、そのモデルとなった国を連想できるのだ。しかも「台湾みたい」なんて、台湾の文化を知っていないと言えないセリフまで。小学校入学の自分が同じように千と千尋の映画をみたところで「カオナシ怖い」くらいの薄っぺらい感想しか持てなかっただろうなぁ…。
自分が目にしたものを、別の文化と結びつけて、しかもそれを特定できる。自文化ではないものの存在を認めている。
子どもの異文化理解力は底知れない。
日本生まれ日本育ちが当たり前だと思っている刷り込み
そういえば先日シンガポールの病院で睡眠導入剤マイスリー処方された時も、似たようなことが起こった。
LEDライトに照らされた無機質な待合室に、日本人の小さな男の子がやってきた。その後を、もっと小さな女の子がトコトコ付いて回っている。どうやら兄妹らしい。
お兄ちゃんの方はすぐどこかへ行ってしまったのだけれど、髪を2つに結わえた妹は、なぜか私の目の前で止まった。そして小さな足でぴょんとジャンプ。チカチカと光る運動靴を目の前で嬉しそうに披露してくれた。それで「わー、すごいね」と言うと、その子は一瞬ハッとしたような顔になった。ソファーに腰掛けていた私の元へノソノソやってきて、自分のおでこを私のおでこをゴッツン。そして隣の診療所まで聞こえそうな大きな声で、一言。
「ねぇ、ニホンジン〜?」
と聞いたのだ。
日系病院だから、シンガポール人ではないと思ったのかな。「うん、日本人だよ」そう答えると、丸い目をもっと丸くして小さな悲鳴をあげた。
「わっ、この人、ニホンゴじょうず!」
うんだって日本人だもん。笑
とっさにそう思ったところで、今度はこちらがハッとする番だった。
日本生まれ日本育ちである私にとって「日本人が日本語を話すこと」は当たり前だけれど、海外育ちである彼女には、この方程式が通用しないのだ。
実際に聞けばインターナショナルスクール系列の幼稚園に通っているらしい。私の小指よりも小さな親指をクイッと曲げて、「4さいだよ」と教えてくれた。
きっと日本人でも英語を話しているのが、彼女にとっての「当たり前」なんだろう。
映画から台湾の情景を連想した女の子にしろ、日本人でも日本語話者でない可能性を理解している幼稚園児にしろ、シンガポールで育つ子どもたちの感性は素晴らしい。
彼らは将来どんな大人になっていくんだろう。
