シンガポール在住の日本人医師が海外移住を決めた理由

日曜日の朝一番、過去数ヶ月くらい全く触れていなかった、通称<魔窟>を開けて、その雑多さにドン引いた。ベッドの隣にある収納スペースのことだ。何でもかんでも押し込んでいたので、自業自得だけど、汚い。ぐちゃっと乱雑に重なった、記憶の断片。そろそろ断捨離しなきゃな。

私は昔から片付けが苦手だ。その原因の一つは単純に物の多さにある。

物(特に人からもらったもの)を捨てられない習性がある私に、中学校の担任からは「お前はリスか」と呆れられた。暴風雨が過ぎ去ったような私の部屋を見たイトコには「待って大地震でも起こったのww」とそのカオス状態を笑われた。母親にも「部屋の汚さは心の荒れ具合なんだから、きちんとしなさい」と説教をされる始末。「私もそうだからわかるよ、部屋が汚いのは外で頑張ってる証拠だよね」と唯一激励してくれていた友人は先日5年間ラブラブだった彼氏との婚約を突然破棄したもんだから、部屋の清潔さが精神安定度の指標になるというのは案外的外れではないのかもしれん…。

まぁ、そんなことは置いておいて。

この間、例の<魔窟>から、黒ボールペンで書かれた手書きの地図を発掘した。

シンガポールのお医者さんに書いてもらった、ベトナム・ホーチミンのタンソンニャット国際空港の地図である。

先日、逆流性食道炎の疑いがあって胃カメラ検査を受けにシンガポールで病院に駆け込んだんだけど、その時診断してくださった日本人女性医師が、元ベトナムのホーチミン勤務だったのだ。

ムーミンのような体型に少し白髪の混じった頭と、鼻先に乗った丸メガネ。灰色のクロックスにフリルの付いた白い靴下。薄水色の白衣の下からは、くるぶし丈の青いデニムスカートがはみ出している。肌のきめ細かさや語調から判断するにまだ40代である印象を受けたけれど、最先端の医療を誇るシンガポール勤務の医師らしからずパソコンでのカルテ入力に悪戦苦闘する姿や、患者が目の前にいるのに「は〜やれやれ」と無意識に呟いてしまう気の抜け方に、おばあちゃん的安心感を感じた。

逆流性食道炎よりは胃炎じゃないかという疑いが持ち上がり、同病院の敷地内にある胃カメラセンターへの検査依頼書をポチポチと作成してくれている。が、システムが複雑らしく、えらく時間がかかる。

先生、シンガポールはもう長いんですか?

沈黙をやり過ごすために常套句を投げかけてみた。

思いつきにすぎなかったこの質問が、この後の診断時間を2時間も伸ばすことになろうとは当時知る由もなく。

沖縄出身の日本人医師が海外移住を決めた理由

彼女の出身は沖縄の辺野古だった。海外移住に踏み切ったのは今から7年ほど前、愛娘の幼稚園入園が目前に迫った時だったという。米軍基地の移転反対運動で地域情勢が荒れ、とても幼い子どもを一人歩かせられる状態ではないと判断し、当時偶然にも近所で起きた幼女誘拐未遂事件を皮切りに沖縄脱出を決心したそうだ。

当初は子どもの教育を考慮して、大阪もしくは東京への異動希望を出していた。しかしポジションが空くのを待っている時間の猶予はない。

当時勤務していた病院に今すぐ沖縄から出たいと移住計画を相談すると、日本語話者の内科医ポジションが空いている国があると提案された。それがベトナムのホーチミン。

えー、私ベトナム語話せないんですけどー。というかベトナムってどこ?が最初の印象だったと彼女はにこやかに微笑む。

娘さんもご一緒で怖くはなかったのですか?という私の問いに、そりゃ怖かったわよーと当時を振り返り、続けてこう言って目を輝かせた。

でも、大阪や東京だって、沖縄からみたらベトナムと同じく海の向こうなんですよ。

だから同じ海を渡るのならいっそ、国外っていう選択もアリじゃないかと思ってね。

なんて行動力に溢れた先生だろうか。

そんなわけでホーチミン勤務の可能性を耳にした1ヶ月後には飛行機に乗ってベトナム移住を現実のものにした。

困難を乗り越えた人の生きる力は図太い

寡黙な方だという第一印象は裏腹に、一度開いた先生の口はもう塞がらない。逆流性食道炎かもしれなくて胃がキリキリ痛いと深刻な症状を訴えてる患者が目の前に座っているのに、先生はカルテを打ち込む手を止め完全におしゃべりに熱中し始めた。他に順番待ちしている患者さんはいないのだろうか…。

ベトナムのホーチミンに移住してから一番困ったのは住居だったという。

突然のベトナム移住で確保できたのは、一階部分が飲食店になっているウォークアップ・アパートメント。彼女の言葉を借りれば「シンガポールの廃れたHDBバージョン」。音や臭いでご近所さんの生活模様がもろバレだったらしい。郷に入らば従おう精神でなんとか乗り切っていたが、やっぱり事件は起きた。

ある日職場から帰ったら、自宅のリビングに置いてあるエメラルドグリーン色の本棚から違和感がする。腰ほどの高さで威圧感はないはずなのに、なぜか落ち着かない。箒を取り出し、夕日に照らされた本棚の端っこをつついてみた。

すると、なんと!棚の裏から大量のシロアリが湧き出てきて、あっという間にリビングどころか家中を埋め尽くしたという。その魑魅魍魎さは話を聞いているだけで身体中が痒くなってくるほど。一体どこから大量発生しているのか、台所もベッドルームもシロアリの犠牲となり、ものの数分にして引越しを検討せざるを得ないほど悲惨な状態となってしまった。単身の身と、ましてや幼い子どもがいる家庭では、同じハプニングでも深刻さが異なるだろう。

アパートの清掃管理は大家の仕事という契約になっていたので、これはいかん、とベトナム人大家に愚痴ったところ、損害賠償として渡されたのが、なんと子犬。「育てれば良い番犬になる」と諭され、結局腹落ちしないまま飼うことになったという。

ここまでストーリーが語られ、気がつけば入室してから2時間近くも経っていた。私はMCを取っているから問題ないんだけど、先生は他の患者の心配をよそに話し続ける。

ハプニングだらけで適当なベトナムが、今ではとても恋しい、と。そしてシンガポールにきてから尚更、ベトナムが気を張らなくて良い、心地の良い空間だったということに気づいたと。彼女がシンガポールへ異動した理由は、子どもの教育と金銭面が主な懸念点だったようだ。ただし希望をしたわけではなく「いろいろ大変だったのよ」と過去を一括りまとめた表情には少し疲れも垣間見えた気がした。その「いろいろ」には一患者程度には共有しない、もっと深い葛藤がある予感がしたけど、それ以上伺うことは憚られた。

沖縄から海を越え、ベトナム、そしてシンガポール。

困難を乗り越えた人の生きる力は、とっても図太い。

だって今の時代選り好みしなければ、楽しもうっていう姿勢があればどこへ行ったって生きていけるじゃない。色んな患者さんを見てるけども、あんた大丈夫よ、こんな病気大したことない。死ななきゃいいのよ、生きていれば、って思うのよ。

自分が25年間生きてきて上手に言語化できていない白黒の思いを、この先生は色鉛筆でカラフルに彩っていく。

最後はベトナム旅行を控えた私に、オススメのレストランやカフェを教えてくれ、ホーチミン市内に向かうにはタクシーが最適だからと空港内の地図まで書いて手渡してくれた。

そして、「また会いましょうというと問題になっちゃうから、元気な日々を祈っているわね。戻ってきちゃダメよ」と送り出してくれた。

胃炎になるのはもうゴメンだけど、いつかまたお世話になることがあったらベトナム旅行の話をしよう。

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